ご注意

このサイトはアダルト・サイトです。詳しくはわかりませんが、ご覧の国の律に従って閲覧してください。とりあえず、子供は十年いよ、一昨日来やがれ(笑)。
そして、大変僭越ながら、当ブログは特定秘密保護法案に断固として対します。だって、真っ先にこういうブログがかれそうだから。
そして、2013年末に亡くなられた大瀧詠一さんに心からの悼の意を表します。どうか安らかに。夢は消え、歌は残る。
なお、このブログは定期更新で、且つ、ある程度まとめて原稿を書いて、小出しに更新する、というスタイルでおりますので、多少最新情報から外れることもありますが、その点は気長にお付き合いください。
ですが、何かと不便なのでまとまりのはじめの記事に「直線ち」というラベルを付けるようにしましたので、そこからお読み頂けると、スムーズに楽しめるのでは無いかと思っております。

2018年7月17日

恋愛以上、肉欲未満


だ最後まで読み終わっていないので、結論は出ないのですが、そもそも独り身にセックス依存症というのは適用されるのか、という疑問があります。この御時世、ネットにあふれるアダルト動画、無修正動画に、普通の大人なら簡単にアクセス出来ます。誰もがそれを見て射精しているわけでもないでしょう。時には笑って見ている可能性もある。
それよりも問題は、恋愛とセックスの区別が曖昧になっている、ということではないかなと。逆に、セックスを依存性があっても娯楽と捉え、家族や配偶者との恋愛と切り離して考えられた方が、ずっと健全ではないのか、という気がします。私自身、エロ事には大変興味がありますが、あくまでも傍観者であり、妄想狂なだけです。趣味の一つにカウントしていますし、私の本質をある意味で代弁していると思っています。
代わりに、人を愛することの定義が、非常に曖昧になっています。その感情はわかるけれど、セックスと切り離せない。或いは、セックスしたいことと、愛することが同義になっている気がします。コレは多少哲学的な話ではあると思いますが、それを実感した時の虚無感というか、自分への罪悪感というか、ネガティブさはかなりのモノがあります。
結果、あまり人には深入りしない、という方向に行きがちで、つまりは私の本質に寄り添っている資質なのだという気がするわけです。ただ、コレが私という特殊な事例であればいいのですけど・・・。そもそも少子化対策というモノの空虚さは誰もが知るところですが、もっと根本の人の性への原理の部分に、この愛情とセックスの間のシームレスな部分が関わっているのでは無いかと思う今日この頃。Licksを参照